1997年の春のことです。 会社の近くの線路わきに、水色のゴミ袋が捨ててありました。 近づいてみると、袋の外側に、「犬(死)」と書いた紙が貼ってありました。 中には赤い首輪をした白い犬が入っていました……。 淀川の河川敷にお墓をつくりました。 その日から、私にできることについて考え始めました─。 その年の夏、動物管理センターを訪れ、数日後に、あるいは数時間後に命を絶たれる どうぶつたちに逢いました。 人間を信じて疑わない瞳をして、人間なんか絶対信じないという瞳をして… まるで自分たちの運命を知っているかのように、彼らはそこにいました。 そこで知ったことは、無責任にどうぶつを捨てたり保健所に持ち込んだりする人があとをたたないこと、 放し飼いにされた挙げ句、迷い犬となって収容される犬がたくさんいること、犬は収容されて4日目に、 猫はその日の内にも殺処分されていること、 その処分方法は“安楽死”などではなく、“炭酸ガスによる窒息死”であること、 そして、今、目の前にいる彼らもまた……。 |
犬41万4,506、猫30万7,626─。 これは、全国で1年間に殺処分された“いのち”の数です(1995年度・JAVA調べ)。 今の日本の社会で、どうぶつと人間が共存していくためには、 私たち人間が社会のルールやマナーを守り、 どうぶつたちの“いのち”に責任を持って暮らしていくほかはありません。 本展は、動物管理センターでいのちを絶たれていったどうぶつたちの、 誇り高き最後の肖像を写した写真展です。 この写真を通して、ことばを持たないどうぶつたちの声なき声が、 あなたの心に届きますように…。 そして、狭く暗いガス室の中で、 その短い一生を終える不幸などうぶつたちが、 いつかこの地球上からいなくなりますように─。 児玉小枝 |
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